旧飯田市街地に鎮座する神社。
大宮諏訪神社、長姫神社、愛宕稲荷神社、今宮郊戸八幡宮、元山白山神社、白山社、天満天神社、烏山稲荷神社、琴平社、冨士山稲荷神社の10の神社を飯田十社と称します。
旧飯田市街地に鎮座する神社。
大宮諏訪神社、長姫神社、愛宕稲荷神社、今宮郊戸八幡宮、元山白山神社、白山社、天満天神社、烏山稲荷神社、琴平社、冨士山稲荷神社の10の神社を飯田十社と称します。
【鎮座地】飯田市宮の前4164-1
【御祭神】建御方富大神 八坂刀売大神
当社歴史は古く詳細は不明であるが、建御名方神が信濃に入り諏訪を統合する途中、当地に立ち寄られた為、この地に祀られたとされる。大神は信濃を内県(うちあがた)=諏訪地方、大県(おおあがた)=佐久地方、外県(そとあがた)=伊那地方に区分して統治され、当社は外県の大社とされ「外縣大宮諏訪神社」と称せられる。 記述によると建久5年(1194年)地頭近藤六郎周家により再建されたとあるが、その後世の乱れと共に荒廃し亨禄年間(1528年)頃、東渓和尚により長久寺の鎮守として、諏訪から分霊を迎えて再建された。江戸時代には歴代の飯田城主より厚く崇拝された。
正徳5年(1715年)未年の大水害である未満水(ひつじまんすい)の折、大神の加護により災難を免れたので長らく中断されていた「お練り祭り」が復活し、寅と申の年に行う申し合わせがなされて今日に至るが、近年では伊那谷一円の一大祭礼となっている。
【鎮座地】飯田市追手町2-641
【御祭神】堀秀政 堀親良 堀親昌
(御三霊 飯田藩主三代)
当社は俗に「ご三霊さま」とも言われ、堀秀政公、親良公(秀政公次男)、親昌公(親良公次男、飯田城主堀家初代)を祀る。嘉永3年(1850年)当時の飯田城主堀親義公はそれまで堀家菩薩寺である江戸渋谷の東江寺内に祀られていたこの三霊神を飯田に迎え一時城内山伏丸の宝蔵内に安置し、翌年堀家の祈願所である普門院(飯田市仲ノ町)に神殿を建てて祀った。
明治5年(1872年)、廃藩に伴い親義公は島田村久井(現飯田市松尾久井)に移り、三霊神を一時その邸内に祀った事もあったが、明治13年(1880年)、旧飯田藩士一同協議し飯田城二の丸奉遷、同年長姫神社社号許可を得た。
更に後、明治33年(1900年)飯田小学校校舎新築に伴い現在の旧本丸に社殿が建てられ奉遷された。
【鎮座地】飯田市今宮町4-6207
【御祭神】誉田別命 息長帯比売命 武内宿祢命
創立は不詳ですが、貞観年中(860年頃)御祭神を山城国(京都)の鳩嶺へ御鎮座の後、領主がこの地へ勧請したと伝えられています。久安3年(1147年)郡戸庄五郷の総鎮守として、時の領主の篤い崇敬を享け、社領135石が寄進されました。建久8年(1197年)鎌倉幕府から社殿建立の寄進もありました。武門武将の崇敬、一般民衆の信仰が極めて篤く、優れた御鎮座の位置、伝承の古さから稀にして往古より霊験極めて顕著であったので、歴代の領主は社殿の造営維持経営は藩費を以って行い。祭壇には領主幣帛を奉り、国家の安泰、武運の長久、庶民の安寧と福祉を祈願されました。
【鎮座地】飯田市羽場権現1172-2
【御祭神】伊弉諾命・菊理姫命・大巳貴命
【鎮座地】飯田市滝の沢6684
【御祭神】伊弉諾命・菊理姫命・大己貴命
旧飯田市街地に鎮座する10社の神社をお参りします。特に決まった参拝順序はありませんが、是非ご参拝ください。
十社の内、大宮諏訪神社・長姫神社・愛宕稲荷神社・天満天神社・烏山稲荷神社・琴平社の祭典及び祈願に関するお問い合わせは、冨士山稲荷神社までお願いいたします。
長野県内には大小2400余りの神社があります。お近くの産土神様はもちろんのこと、訪れた土地に縁のある神社も是非お参りください。
ここでは神社本庁指定の別表神社・県神社庁指定の特別神社をご紹介します。
長野県内お近くの神社をお探しの方は、長野県神社庁のホームページ内「神社紹介」よりお探しください。